【紙田】
本日のパネルディスカッションでは、三つの論点を挙げさせていただきました。
まず地区防災計画策定にあたって、行政の役割や立ち位置はどうあるべきか。行政に期待することは何か。それから、地区防災計画を住民の意識向上や今後のまちづくりにどう生かしていくか。三つ目として、地区防災計画が災害に初めて見るものではなく、地区に浸透し、平常時から活用されるにはどうすればよいか。
まず一つ目、地区防災計画策定にあたり、行政に期待すること、市の役割や立ち位置はどうあるべきか、について、東福さまからお願いします。
【東福】
協定締結後に3年間、防災コンサルタントを派遣して、毎月の会議に私ども市の職員も出席するなど、サポートさせていただいています。
市として地区防災計画の汎用版を策定して、それを基に計画を策定していくといったことはしていません。地区ごとにやはり大きく地域性が異なるので、アンケート調査や、防災マップ等を作成するなど、その結果を分析し、地域性をよく知って課題やよい点などを独自の地区防災計画に生かす制度となっています。
また住民の方々に主体的に取り組んでもらうために、市がサポートしすぎないこと。例えば会議の中で決定事項が生じた場合、提案やアドバイス等はしますが、市が決定したということにならないように、住民の方自らが決定してもらえるような形をとっています。
【紙田】
櫻井さま、市のそのような支援に対しては、いかがでしょうか。
【櫻井】
市からはいろいろ支援していただいていますが、われわれの考えている中身について、ああしろ、こうしろという話はまったくありませんでした。
われわれは防災計画を昭和59年につくっています。それを基に見直し策定の際には、大学の先生のアドバイスによって絞り込んできました。
われわれの地域は火事が一番怖い。これがなければ、たとえ地震で多少家具などが転倒しても家の中にいられる。みんなが避難所に避難したら行列ができ、立っていなくてはいけない。そのため在宅避難を目標にした計画をつくっています。
火事をなくすためにはどうするか。例えば消火器を1軒1軒保有してもらう。今は約8割の保有率になっています。あと2割をなんとかして、みんなで頑張って保有率を上げていこうと活動を行っています。
市長をはじめ防災安全課の皆さん方にもご指導をいただいています。これも大きなバックアップになっている。「誰も来ずに、何か勝手にやっている」わけではないところが、国分寺市のえらいところであると思っています。
【紙田】
市のサポートと住民の意識がうまい具合にかみ合っているということが一番活動を進めている原動力かなと感じます。
実際に大規模災害を経験された田中さんは、市の役割についてどんなことを思われていますか。
【田中】
災害発生当時、行政のリーダーに具体的な行動を指示してもらうことは難しかった。例えば、死体安置所もどこに安置するのか決まっていないなど、一つずつ自分たちの中で解決していく必要がありました。
新しい計画をつくるときには、やはり市のほうが主導的になりがちですが、実際にそぐわないものがあったら、自分たちは違うと、強い意志で変えていったほうがいいと思います。
市の協力もないと計画は進みませんが、住民が主体になって、市はその背中を押してくれるような立ち位置で指導してくれればいいのかなと今強く思っています。
【紙田】
やはり市はサポートに徹する。実際、現場でどんどん決定しているのは地域でやっていくしかない。そういう状況に、実際の災害時にはなっていく。地区防災計画をつくることによって、市に災害対策本部があるように、各地区にも災害対策本部があれば、市のほうも助かるのではないでしょうか。
それでは二つ目の論点。地区防災計画を住民の意識向上や今後のまちづくりにどう活かすか。宇治田さん、コミュニティの変化についてもう一度お話しいただけますでしょうか。
【宇治田】
私がお世話になった地区は、住民が意見を言えば、行政はその通りに工事を行ってもらえるものと考えている風潮が感じられる地区でした。まずは住民が自分たちで取り組まなければならない、自分たちでも取り組めるのだということを広めることが、とても大切だと感じました。
話がそれてしまうのですが、2年前の熊本地震の際、住民が立てる復興計画に参加した時に、大失敗したことがありました。自分たちの暮らしをこれから考え、こう暮らすから、ここに広場がいる。このように暮らしたいから、このような道路がいる。皆さんが考えたことを、形にし、住民に提案するところまでいったのですが、「私たちがこう言っても、もっと被害の大きな地区のことを考えると言ってもしようがないから、このまちづくり計画は今後つくるのをやめる」と。住民どうしの気持ちを高めていく、自分たちでまちづくりを進めるのだという気持ちを十分に支えてあげられなかったなぁと後で反省しています。
意識を高めていくのは大切ですが、もう一つ工夫が必要なのかなと自問自答しているところです。
【紙田】
まちづくりあるいは自治会活動に消極的な方々の意識は、どのようなことで変わってこられたのでしょうか。
【櫻井】
ほとんど参加していない方でも、総理大臣賞、総務大臣賞などの受賞が回覧板の記事に載ると非常に関心が高まります。それが底上げにつながっている。
上がったものを下げないための努力としては、例えば、防災ファミリーひろばのような会を持って、午前中は防災訓練、お昼は炊き出しの豚汁とおにぎりを食べて、午後は昔遊びを3世代揃っておこなう。みんなで楽しく遊んでいると、おじいちゃん、おばあちゃんも非常に活性化され、自治会活動にもつながってくるという、いい影響が出ている。そういうことを、きっちりやりきる。しかし毎回、同じような手法で、同じようなことをやっていたら、やはり飽きてくるんですね。飽きてくると「もういいわ」ということになってしまうので、工夫をしています。
例えば、参加記念として、前年が防災グッズだったら、翌年はリンゴを配ってみたり、など工夫しています。
【紙田】
市のほうでも一生懸命サポートしていることから、市全体への波及効果というのはどんなようなものがありますか。
【東福】
市では、防災まちづくり推進地区が策定した地区防災計画を、推進地区以外に居住している方々にも知ってもらえるような取り組みを行っています。出前講座等を活用して事例紹介をしたり、市民向けのイベントとして策定した地区防災計画の発表会などを行っております。
防災まちづくり推進地区に対しては、会議の場で情報提供を行ったり、推進地区同士での交流会で発表を行ったり、積極的に取り組んでいます。また最近では市内にとどまらず、市外からも、視察やヒアリングなども多くいらっしゃいます。その際、決して断らずに、いい事例はまねしていただきたいと思っているので、出し惜しみせず、事例紹介などを行っています。
【紙田】
それでは三つ目、地区防災計画をつくっても、継続的に見直していかなければならないというお話がありました。田中さんは災害を実際に経験されて、計画の見直しという点ではいかがでしょうか。
【田中】
地震など大きい災害のときに携帯は使えなくなることを想定していて、今回の震災で活かすことができたのですが、遠くの人と連絡を取るため準備していたライトや、拡声器は、1回も訓練で使ったことがなく、実際の津波のときには拡声器は流され、ライトは電池の補充がなかったので使えなかった、という痛い経験がありました。
本当に明かりがないところだと救助活動もままならず、不安も募るので、電池の備蓄よりはダイナモか何かで発電できるようなものが常備されていれば、ラジオも常に聞くことができると思いました。
【紙田】
昭和59年につくられてから、改定を経験されていらっしゃる高木町自治会さんはいかがでしょうか。
【櫻井】
高木町自治会では、例えば、防災計画をつくったら終わりではなく、必ず検証します。その計画に基づいて実際にやってみる。そして検証を重ね、次の回に生かす。また、私どもは半年に一度、班長が代わります。その代わるのに合わせて地区防災計画の勉強会を行う。こういうことを継続しておこなっています。そしてそれを、今度は実地にやってもらう。資機材をどうやって使うのかということまで含めて、しっかりやっていくことが大事だと思います。
また自治会を担う人材が非常に不足している。3世代の活動などをしっかりやって、その中から人材をピックアップして引っ張り込むという活動も続けています。
【紙田】
やはり皆さんを引っ張り込むことが必要なのですね。
宇治田さまは北海道の厚真町でも避難訓練をされたと。平常時からどのように運用していくのが重要でしょうか。
【宇治田】
地区防災計画が活かされるには訓練が大切だという指摘があります。今回の訓練はそもそも何をねらいにするのか。みんなマニュアルどおりに動けるか。それだけをチェックするというねらいでやるのか、それとも、失敗しても当然だというぐらいで臨むのか。訓練のそもそもの目的を、みんなが理解して臨むことが大切かなと思っております。
北海道厚真町での地震の1年前、同地区で訓練を企画しました。2カ月前の地震では幸い津波の被害はありませんでしたが、津波に遭って皆さんが家を失ったあと、水、電気、ガスが使えない。そんな中で、どのように暮らしていくのかというのを試しに体験してみよう、という訓練を去年、実はやっておりました。そのノウハウが使われていたのかなと期待しているところです。
あともう一つ。いっそのこと、地域が防災上の課題があるということをみんなの自慢として臨んでもいいのかなと。先ほどいわきの事例を紹介させていただきましたが、事前の基礎調査ということで、過去どのような災害があったのかを事前に調べました。
過去の新聞記事30年分を読み、昭和何年の台風何号でどこで水があふれたとか、そういったことを事前に調べました。地域の皆さんも実はご存じだったのですが、当時一番知識レベルが低かったのは私でしたので、一生懸命勉強しました。そんな形で皆さんのほうへ「実はこういうことが昔あったんですね」と申し上げたところ、皆さん、顔つきが変わり生き生きとしました。「私たちはこんなに歴史のあるまちなんだ」「いろいろな情報があるまちなんだ」ということで、皆さん逆に前向きに捉えていただけました。義務感ではなく、逆にポテンシャルがあるという捉え方が感じられました。防災というと、どうしても後ろ向きな側面がありますが、いっそのこと、もっと前向きに捉えてもいいのかなと思いました。
【紙田】
本当にそうですね。実際に災害が起きたらこうなるのかというのを新しく知ること。それから、昔の記憶をたどること。それらは、悲しいことではなく、未来に向けて皆さんの力になるのかなと思います。
それでは会場の方々から、ご意見ご質問お願いします。
【質問者1】
港区に住んでいる者ですが、防災計画は住民の方から上がってくるのを市がサポートするというお話がありました。港区など23区の場合、人口が多すぎて、住民の中から防災計画を出すのは非常に難しいのではないかと思います。やはり行政などが方針を出さないと何ともしようがないのではないか。
最近感じているのは、緊急時の防災無線がほとんど聞こえません。直接音で伝えるということは非常に大事で、東日本大震災でも最後まで防災無線のマイクを握り続けていたという市の職員がおられましたね。
今はスマートフォンなどワイヤレスの技術は非常に進んでいるわけですから、もっと市や政府がイニシアティブをとって精度のいい防災無線を各地に設置してほしいと思います。
それから建築という点から言うと、やはり首都圏には公園がない。だから避難する場合、ある程度公園の領域を確保していただければいいなと思います。
【紙田】
無線が聞こえない件では田中さん、いかがですか。
【田中】
私たちの地区は旧田老町のときに個別無線機といって、各家に防災無線が入るようになっていましたので、悩んだことはなかったのですが、合併後それが廃止され、今度は個々に購入するという形になるのかもしれない。まだ私もよく分からないところですが個別無線機は便利です。
【紙田】
あと、人口の多いところでの地区防災計画の策定に関してはいかがですか。港区ではきっと不燃領域率が非常に高いため、自宅避難で避難場所まで行かない。なるべくなら自宅で避難する。あるいは帰宅困難者の方々を地区のマンションなどで受け入れる。そのような取り組みが必要になってくるのかなと考えますが。
【櫻井】
7年前に会長になって、最初の防災訓練のとき「市の合図が聞こえないじゃないの」と指摘されました。私は7年間ずっと言い続けました。改善されるところは改善されているのでしょうが、いまだに聞こえない。市も聞こえない場所は分かっている。そこにきっちりアンテナを上げ、マイクをつけ、スピーカーをつければできるけれども、なかなか場所の確保ができないということをおっしゃっていました。
市のほうも、お互いに協力してやっていくという姿勢を示してもらわないと、うまくいかないと思います。それをはっきり言えるかどうか。また、それを言えるだけの人間関係をつくっているかどうか。お互いに反省して、きっちりやっていこうというのがまさに防災計画です。ですから防災計画というのは、さっき先生がおっしゃったように、私に言わせればまちづくりです。
【紙田】
まとめていただいて、どうもありがとうございます。ほかに。
【質問者2】
平成25年に水防法が改正されて、地域の持てる力、あらゆる主体を結集して水防に関わるという改正がありましたが、地区防災計画にも言えることだと思います。産・学・官・民の連携など、そこで企業がどうやって関わっていくか。企業が、市民、行政と一緒に防災計画に組み込まれていくというのが僕は理想だと思っています。そんな事例があれば。
【紙田】
宇治田さんのほうで、企業がたくさんあるエリアで地域BCPをされていたというご経験があると思います。
【宇治田】
私の会社の事務所が、千代田区にあります。港区もそうですが、千代田区内は大きな災害が発生すると帰宅困難者が大量に発生するというのが地域の一つの課題になっている。それに対してどのような対策、どのような活動があるかが課題としてございます。
帰宅困難者対策地域協力会という企業同士の自主防災組織、活動がございます。いざというときには、まずは社員を帰さない、帰宅困難者を自ら出すな。来訪者、お客さんなどで帰れない人については可能な範囲で、会議室やホールに留まっていただけるように。あるいは、道案内などができるように。
それから会社同士で「◯◯の交差点は人が混んでいる」「◯◯は停電している」など、お互いに連絡が取れるようする取り組みを進めているところです。
【質問者2】
CSR活動でまちの掃除をするとか、そういうことはやっておられて、その活動報告書を株主に見せて株が上がるというWin-Winの関係にある予算を、BCPをDCPに広げるのに使えば、本当に地域に根差した企業として成り立っていくのではないかと私は考えています。マンションだけで閉じてマンションの価値を上げるなど、そういう閉じたBCPではなく、地域に広げていってほしいというのが私の願いです。
【紙田】
どうもありがとうございます。それでは最後に皆さま方から、会場の皆さまに一言ずつお願いします。
【東福】
まちづくりや人づくりの取り組みというのは、防災のようなさまざまな観点から評価される、ということをお伝えしておきたいと思います。地域の特色を把握して、将来像、どうしたいかをイメージして取り組むことで、地域づくりに貢献していけると思っております。
【櫻井】
防災力の強化というのは継続してやる以外にない。そしてまた訓練は決して皆さんの努力を裏切らないということです。これを忠実にこれからも実施していくことが重要ではないかと思っております。
【宇治田】
防災、まちづくりを動かしていくのは機械でもなく、コンピュータでもなく、人だと思います。そういうことが分かる人を増やしていくことが大切なのではないかと思いました。私もきょうは勉強させていただきました。
【田中】
何気ない日常や、ささやかな幸せを築き上げてきた環境を一瞬にして失う。この絶望感はもう味わわせたくない。震災に遭ってから、再建のスピードも住民それぞれ違います。それを統一するというのはすごく難しい。
ただ私が震災を受けて、今強くやりたいのは、人災ゼロ。人が亡くならなければ、再建するスピードは違ったとしても、また幸せな生活を取り戻せるかもしれない。そのためには生きていかなければいけないし、命の大切さを皆さんに訴えたいと思っています。
【紙田】
皆さん、どうもありがとうございました。地区の防災について考えること、実践することは、まさに現在そして未来の、住みやすいまち、安全なまち、魅力あるまちをつくることにつながる。そしてその活動は一部の人、防災が好きな防災マニアがやるまちづくりではなくて、みんなでやることによって、まちが暮らしやすくなっていく。継続してやっていける、生きたものになっていくということが分かりました。
それではきょうのプログラムはこれで終わりにさせていただきます。きょうはご参加、どうもありがとうございました。
(了)