テーマ:地区防災計画とまちづくりとの連携

地区防災計画の事例を通じて、まちづくりとの連携の可能性を探る

 2013年に創設された「地区防災計画制度」は、地域コミュニティにおける共助による自発的な防災活動を推進するものです。地域の実情にあわせ、地域の強みを生かして、みんなで力を合わせて行う、地区防災計画づくり、日常的な減災への取り組みの実践は自分たちの地区の「まちづくり」そのものといえます。みんなで「地区防災計画」と「まちづくり」について考えましょう。

対象(参加費無料、参加申込不要)
・防災に興味のある市民の皆様 
・学生
・まちづくり、防災に携わる行政担当職員の皆様

開催日時・場所
2018年11月26日(月)13:30~
慶應義塾大学三田キャンパス 北館ホール
所在地:〒108-8345 東京都港区三田2-15-45

●サステナブル防災都市・建築学寄付講座 ホームページ

※講演は終了いたしました。

講演スケジュール

趣旨説明 13:30~13:35

慶應義塾大学 理工学部 システムデザイン工学科 教授

小檜山雅之


基調講演 13:35~15:00

「地区防災計画が築く未来の減災社会」

兵庫県立大学 大学院 減災復興政策研究科長、神戸大学名誉教授

室崎益輝氏

(内閣府地区防災計画アドバイザリーボード座長、地区防災計画学会会長)


「空き家リノベーションによる地区の活性化」

慶應義塾大学 理工学部 システムデザイン工学科 准教授

ホルヘ・アルマザン


事例発表 15:00~16:00

「東京都国分寺市高木町自治会の地区防災計画の取り組み」

国分寺市役所総務部防災安全課防災まちづくり係
東福美希氏

国分寺市高木町自治会 会長
櫻井幹三氏


「福島県いわき市での地区防災計画の先行的取り組み」

防災まちづくりのコーディネーター ランドブレイン株式会社
宇治田和氏


「宮古市消防団と地域住民が津波防災に取り組む地区防災計画&復興まちづくり」

田老地区復興まちづくり協議会会長、宮古市消防団本部付分団長
田中和七氏


パネルディスカッション 16:10~16:50

「地区防災計画を平常時・災害時のまちづくりに活かすには」

コーディネーター:慶應義塾大学 大学院 理工学研究科 特任教授 紙田和代

パネリスト:東福美希氏、櫻井幹三氏、宇治田和氏、田中和七氏

講演者

室崎益輝氏

室崎益輝氏

兵庫県立大学 大学院 減災復興政策研究科長、神戸大学名誉教授

ホルヘ・アルマザン

ホルヘ・アルマザン

慶應義塾大学 理工学部 システムデザイン工学科 准教授

東福美希氏

東福美希氏

国分寺市役所総務部防災安全課防災まちづくり係

櫻井幹三氏

櫻井幹三氏

国分寺市高木町自治会 会長

宇治田和氏

宇治田和氏

防災まちづくりのコーディネーター ランドブレイン株式会社

田中和七氏

田中和七氏

田老地区復興まちづくり協議会会長、宮古市消防団本部付分団長

紙田和代

紙田和代

慶應義塾大学 大学院 理工学研究科 特任教授

小檜山雅之

小檜山雅之

慶應義塾大学理工学部システムデザイン工学科教授


講演内容

※以下は当日の講演内容を要約したものです。敬称などは一部省略していますことをご了承ください。
※タイトル部分をクリックするとボックスが折りたたまれます。

 本寄附講座は公益財団法人東京都都市づくり公社の寄附によるものです。本年度は、豪雨、台風、地震など非常に多くの災害が起こっています。都市、社会を災害から守り、持続的な発展を目指すためには、技術者、都市プランナー、行政実務者などの専門家が多分野の専門家と協働し、サステナビリティを考えた都市建築をデザインする必要があります。災害を未然に防止し、被害拡大を防ぎ、すばやく復旧、復興をする、そういった都市づくり、建築づくりが望まれています。
 これらの専門家を育てる教育研究活動を行うため、昨年、2017年度より3カ年の寄附講座が開設されました。本塾では学部と大学院の科目を展開しています。
 2013年度に地区防災計画制度が創設され、地域コミュニティの共助による自発的な防災活動を推進する仕組みが生まれました。地域の実情に合わせ、地域の強みを生かして皆で力を合わせて取り組む地区防災計画づくり、日常的な減災活動は、自分たちの地区のまちづくりそのものです。本シンポジウムでは地区防災計画とまちづくりについて考え、実践につなげる契機にしたいと考えています。
 減災という言葉には、「人間はちっぽけな存在で、自然を制圧したり征服したり、押さえ込んだりはできない、もっと人間は謙虚にならないといけない」という意味が込められています。堤防のような科学技術がお菓子のモナカの「カワ」だとすれば、減災は中の「アンコ(コミュニティ、地域文化)」をよくすること(モナカの理論)だと考えています。
 減災の文化を育てていくには、以下の4つの足し算が大切です。時間の足し算(事前の計画)、手段の足し算(技術と人間)、空間の足し算(大きな公共と小さな公共)、人間の足し算(自助と共助)。行政がやるべきことを下請するのではなく、コミュニティでしかできないこと、行政ができないところをコミュニティがやる。まさにこれが補完性の原則、足し算の原理です。
 コミュニティの大切さを、防災という形にする仕組みを検討するにあたって、地区防災計画が必要だという結論に至り、二つの法律が作られました。それによって、消防団を中核とした地域防災力の充実強化と、行政だけでなく、地域コミュニティも独自の地区防災計画の策定が可能になりました。行政の地域防災計画とコミュニティの地区防災計画は車の両輪の関係です。コミュニティが勝手に進めるのではなく、自治体との協働、信頼関係の上で進めていくことが重要です。
 また、従来型のコミュニティではなく、新しいコミュニティを模索していくことも大切です。高齢化で防災の担い手も少なくなっていきます。居住者に限定せず、関わりのあるみんなで防災計画を考えること。町内会、学校区などの行政区の境も関係ありません。川の治水対策には上流と下流で一緒に考えたり、マンション単位で考えることも大切です。
 避難所の環境が悪いため、避難所に逃げないケースがありますが、避難所で1日目からフルコースの料理が出るといったら、みんな避難するのではないでしょうか。行政にはないそのような発想で、コミュニティが防災計画のテーマを決めていくことが必要だと思います。
 専門家、防災士や消防団のアドバイスは絶対必要ですが、地域のみんなで答えを出すことが重要です。
 また優れた地域の事例を学ぶことも大切ですが、マイプラン、自分のまちにしかない計画をつくることもとても大切です。
【質疑応答】
 質問者:リーダーが不在の時、副リーダーだと戸惑いが生まれる、といったことをなくすにはどうしたらいいですか?
 室崎先生:二つ重要なことがあります。一つは、外からのアドバイザーが必要だということ。最初に動き出すときには専門家の知恵が大切。もう一つが重要で、コミュニティの中で人を育てる、発見すること。無理矢理、誰かをリーダーに指定するのではなく、自然発生的にリーダーが現れるようなコミュニティをつくっていくことが大切だと思います。
 地区防災にはコミュニティの役割が重要ですが、それはどのようなもので、どのように形成されるのでしょうか。
 コミュニティをつくるためには空間の共有が必要です。都市で言えば、パブリックスペースをシェアすることで、そこにコミュニティが生まれます。パブリックスペースは建物と建物の間の空間ですが、典型的なスプロール化された郊外では、コミュニティがつくりにくく、どうやって自然発生的につくられるか、という問題があります。
 一方、日本では、コンパクトシティをつくろうと行政が動いています。コンパクトシティはバルセロナが有名ですが、特徴としては、非常に人口密度が高く、部屋の用途が混ざっているということがあげられます。そのバルセロナで「スポンジ化」は、人口密度が高すぎるため広場などを作ろうという意味なのですが、日本では、空き地や空き家が増えて都市がスポンジ化されている、というネガティブな意味になっています。
 現在、日本ではコンパクトシティをつくるスピードよりも、特に木造一戸建ての空き家などが増えるスポンジ化の方が速くなっています。しかし、そのスポンジ化をコンパクトシティの実現に利用することはできないでしょうか? たとえば、スプロール化された建物と建物の間の空間ではなく、「空き家」という建物の中の空間を再利用することによって。
 二つの事例を紹介します。
 まず群馬県のプロジェクト。アートのコミュニティセンターに改修し、ギャラリースペースなどにローカルなアーティストが集まり、作業をする拠点をつくりました。
 この地域では、駅前がスポンジ化しています。車社会で、電車には学生しか乗りません。そのためアスファルトが多く、緑が少ない。敷地を整理し、緑の庭にして、駅からアクセスしやすいアートセンターを計画しました。
 もう一つの事例は、山梨県の酒蔵の改修です。現在シャッター街化している場所に、パブリックスペースとして広場とステージをつくりました。大空間で、能のイベントも頻繁に行われています。(能上演のビデオ上映)
 コミュニティを形成するためには「集まる言い訳」が必要ですが、このように先にステージをつくってから、そのあと、じゃあどうしようか、という流れでコミュニティが形作られていくことも可能なのではないでしょうか。重要なのは、まず集まることだと思います。
 これらの活動は利益が出にくいため、大学の役割、責任があると思います。プロジェクトに必要なリサーチも大学の得意分野です。
壁が壊しやすく、建具や柱などがモジュール化されているという日本の木造建築のメリットもあります。空き家の改修というこれらのプロジェクトは、コンパクトシティ化が難しい地方都市にとっては、コミュニティが形成されるきっかけになり、地区防災へのよい影響にもつながるのではないでしょうか。
【質疑応答】
 質問者:行政とはどんな関わりがあったのですか? またコストはどれくらい?
 アルマザン先生:今回行政はまったく関わっていません。どちらかというと二つのケースとも行政にはネガティブでした。住民団体と行政と政治家の間には壁があるという印象。また解体するコストと簡単にリノベーションするコストはほとんど一緒なので、コスト的にもメリットがあると思います。
「東京都国分寺市の防災まちづくり」東福美希氏
 国分寺市は東京都の重心に位置しています。大部分はほぼ平坦地で、海に面していないため、想定される主な災害は地震や台風などです。
 昭和49年に防災都市づくりが開始されて以降、防災を通じた地域コミュニティが形成されてきました。
 防災まちづくりを推進していく上で課題になるのが、防災を担う人材の育成だと思います。国分寺市では、市民学習の場を市が提供し、約1年かけて防災について学ぶ場を設けています。また修了後は、申し出のあった方を市民防災推進委員として認定しています。
 市民防災推進委員が地域に点在し、国分寺市民防災推進委員会がその点を線でつなげる役割を担っています。
 国分寺市防災まちづくり推進地区では、地区単位の防災コミュニティづくりを目標として、市と地区が協定の締結を行い、共に取り組んでいます。推進地区の指定には自治会等の自発的な申し入れが必要で、市から依頼はしません。推定地区に指定された後は、3年間の防災コンサルタント派遣、また我々も毎月の会議に出席するなど、一緒に取り組みます。4年目以降は、地区防災計画に基づいて活動を継続していきます。また、防災資機材等の助成や、会議場所の確保、防災ニュース発行のための紙の提供や印刷機等の貸し出しも行なっています。
 現在、推進地区14地区の地区防災計画の策定状況は、13地区が策定済み、1地区が策定中です。また策定済みの地区のうち、市の地域防災計画には6地区位置づけられています。推進地区の市内カバー率は5割程度なのに対し、自治会加入率が4割を切っていることは今後の課題だと思っています。
 都市づくりを推進するにあたっては、いつも集まる人たちだけに限らず、ふだん集まらない人たちも参加してくれるような取り組みが重要だと考えています。この後、お話しいただく、高木町自治会は、行政や時代のせいにはせず、会員以外の方なども巻き込んで活動していくためにはどうしたらいいかを、常に考え行動しています。



「高木町自治会における防災活動のご紹介:地区防災計画を地区の防災活動に活かす取り組み」櫻井幹三氏
 高木町は端から端に歩いても10分ほどです。コミュニティとしては非常に連絡がとりやすい地域です。近年、町から2.8km先には立川断層が存在していることが明確になってきて、備えをしっかりしなければいけないと思っています。
 高木町自治会は昭和42年に設立され、昭和57年には防災部が作られました。当時はまだ防災という言葉がポピュラーではない時代だったようですが、すでに昭和59年には地区防災計画書を作っていて、全国初のものだと言われています。
 それ以降、自治会では防災計画書に基づいた防災訓練を毎年継続してきました。しかし長年やっているとどうしても飽きがくるため、そのつど工夫を加えてきました。
 最近一番効果があったのは、「安全カード」です。防災訓練の際に、チェックする必要のない家だということが誰にでも分かるように、「安全カード」を各自の玄関の見えやすいところに置いてもらったところ、参加率約50%と非常に増えました。ただ、まだ半分の世帯が不参加です。いかに工夫をこらして参加してもらうかを考えています。
 また、1978年の宮城県沖の地震の後、町内で塀をチェックし、危ないと思われるものが約400件ありました。その後、「へいづくり憲章」をつくり、徹底的な意識改革を推進しました。今回、大阪でプールの塀が倒れる事故がありましたが、あらためて町内を調査したところ、危険な塀は58件に減っていました。成果があったと思っていますが、今後も活動の継続は必要だと考えています。
 さらにこれらに基づいて、「まちづくり宣言」をつくりました。町内に掲げて、住民がいつでも見られるようになっています。
 平成27年の防災計画見直し策定については、火事を出さない、災害時の安否確認の実施、に絞って防災計画書をつくりました。
 一つ目は、現状、避難所は圧倒的に収容能力が足りず、家さえ失わなければ、そこで過ごせるだろうということで、「火事を出さない」。二つ目は、「災害時の安否確認」の実施。どうしても公助には頼り切れないため、自分たちで全員の安否確認をするということです。この2点に絞った計画をつくり、市と合同の防災訓練、それから、防災ファミリーひろばというイベントで、毎年2回ほど訓練もしています。
 また、災害後の対策として、物資の配給訓練を実施しています。国分寺市や東京都に備蓄されているもののうち、消費期限が近づいたものを活用させてもらっています。
 防災活動は、とにかく飽きずに続ける。飽きたら終わりだと思っています。防災ファミリーひろばの活動では、「3世代みんなで楽しく」をテーマに、幼児、ご両親、祖父母に来てもらっています。60歳以上でもまだまだ元気なので、リクルートする目的もあります。
 さらに、防犯への取組みも行っています。災害時の犯罪を抑止するために、日頃とにかく挨拶をするよう奨励しています。私が自治会長に就任した7年前、自宅の庭で作業をしていた方に声をかけたら、相手から不審な目で見られたこともありました。しかし警察などの話では、犯罪者は目と目が合うのが一番いやだと言われています。だから、こうやってどんどん見てしまう。そういうことをやりつつ、おもしろおかしくやっています。
 福島県いわき市は、昭和の大合併の時代にできた、かつては日本一面積が広い市町村だったこともある市町村です。自主防災組織の数が市内に三百数十あり、数えきれないほど多数のコミュニティがあります。
 東日本大震災では、津波や原子力発電所の事故等による長期避難生活者の受け入れなど、非常に厳しい経験が今も続いています。これらの経験は、地域のことは地域でやるしかないということを、皆さんが気づいたきっかけになったと思います。今回は平成27年、28年とお世話になった事例を紹介します。
 地区防災計画策定には2年間の期間をとりました。まず第1回ワークショップという形で、少しずつ皆さんに目を向けてもらうことを目指しました。災害当時の経験を出し合う、まちあるきをする、地図をつくる、それから、訓練をする。少しずつ皆さんにやる気を持ってもらうように進めました。
 当初、参加された方々は「来いと言われたから来たけれども、一体何をさせるんだ」という感じでしたが、2回、3回と住民マップ作成の具体的な作業を進める内に、皆さんの気持ちが変わってきました。1年目はこの地域独自の情報を集約するところまで進みました。2年目の冒頭に、住民説明会、住民発表会という形でマップをお披露目したのですが、その頃には住民が率先して役割分担してくれるようになっていました。
 2年目以降は、いざというときにどう動くかを重点的に考えました。実際に訓練の準備をしていく段階で、食器はどうするか、受付はどうするか、誰が担当するかなど、地域のみなさんが、地区のコミュニティの枠組みについて考えるようになっていきました。
 最終回に訓練の振り返り行った際、市に提出する書類をひな型だけこちらで作り、わざと一部間違えておきました。これを地域の皆さんが検討し、名称はこうする、ここはこうで、何人でやればいいということを実際に添削してもらいました。
 私はコンサルタントという立場で関わりましたが、押し付けるのではなく、いかに住民の皆さんにやってもらうか、仕向けるか、その気にさせるか。思いを聞き出し、形にする。1年目はこれをやる、2年目はこれをやる。その中で年間のロードマップを見せるなどの工夫をするなどして、お手伝いさせていただきました。
 私たちの地元では「防波堤」のことを「防浪堤」と言っています。私たちは津波が来たらこの防浪堤を越えてしまうだろうと想定していました。ただ防浪堤を過信していた人が多かったのも事実です。実際の震災時には津波が防浪堤を越え、街を飲み込んでしまいました。
 震災後、瓦礫になった町に、窃盗目的の人が、初日は1名確認し、数日経つとだんだん増えてきました。地元で呼び合っている屋号で声をかけたりなど不審者を警戒しましたが、安全を期して、個人では絶対に争いはせず、警察に連絡することを徹底しました。
 また私たちは水の確保を十分にしなかったのですが、自然水や飲料水にできる知恵もあったので、さほど困らないと思っていたところもあります。また昔から津波が想定されてきた地区ですので、炊き出しなども当日から困ることはありませんでしたが、山間部での消防活動ではいつ食料が来るのかわからない、という状況は当分続きました。
 私たちの地区のポンプ車は助かったのですが、ポンプ車が流されてしまった分団もありました。瓦礫で道路が使えず、鉄道の線路にホースを延長して消火活動をした記憶もあります。また活動時には半纏があると持ち運びもでき便利だと感じました。ただ、ヘルメットや手袋、靴などの用意がなくて苦労しました。
 去年から町の再建が始まりました。高台に安全な場所もできました。もちろん、もとの町に住んでいる人たちもいらっしゃいます。行政主導の避難計画もいろいろ立てられたのですが、高台に住んでいる人が多く、みなさん安全だと感じているためか、住民の参加は少なかったのが現状です。
 「まちづくり協議会」を立ち上げ、住民の意見を集約しながら避難マップもつくりました。家族でも話し合うために地元の小学生に毎年配布しています。ただ防浪堤が未完成で、あと何年かかるかわからないので、内容は変更していかなければなりません。
 私たちは、「消防団員は何があろうとも地震の15分後には退避する」という「15分ルール」を決めています。団員の安全を守ると共に、過去に避難誘導に関する犠牲者が出ていることを踏まえ、「避難済」札を作成、配布し、避難誘導のさらなる効率化も図っています。
【紙田】
 本日のパネルディスカッションでは、三つの論点を挙げさせていただきました。
 まず地区防災計画策定にあたって、行政の役割や立ち位置はどうあるべきか。行政に期待することは何か。それから、地区防災計画を住民の意識向上や今後のまちづくりにどう生かしていくか。三つ目として、地区防災計画が災害に初めて見るものではなく、地区に浸透し、平常時から活用されるにはどうすればよいか。
 まず一つ目、地区防災計画策定にあたり、行政に期待すること、市の役割や立ち位置はどうあるべきか、について、東福さまからお願いします。
【東福】
 協定締結後に3年間、防災コンサルタントを派遣して、毎月の会議に私ども市の職員も出席するなど、サポートさせていただいています。
 市として地区防災計画の汎用版を策定して、それを基に計画を策定していくといったことはしていません。地区ごとにやはり大きく地域性が異なるので、アンケート調査や、防災マップ等を作成するなど、その結果を分析し、地域性をよく知って課題やよい点などを独自の地区防災計画に生かす制度となっています。
 また住民の方々に主体的に取り組んでもらうために、市がサポートしすぎないこと。例えば会議の中で決定事項が生じた場合、提案やアドバイス等はしますが、市が決定したということにならないように、住民の方自らが決定してもらえるような形をとっています。
【紙田】
 櫻井さま、市のそのような支援に対しては、いかがでしょうか。
【櫻井】
 市からはいろいろ支援していただいていますが、われわれの考えている中身について、ああしろ、こうしろという話はまったくありませんでした。
 われわれは防災計画を昭和59年につくっています。それを基に見直し策定の際には、大学の先生のアドバイスによって絞り込んできました。
 われわれの地域は火事が一番怖い。これがなければ、たとえ地震で多少家具などが転倒しても家の中にいられる。みんなが避難所に避難したら行列ができ、立っていなくてはいけない。そのため在宅避難を目標にした計画をつくっています。
 火事をなくすためにはどうするか。例えば消火器を1軒1軒保有してもらう。今は約8割の保有率になっています。あと2割をなんとかして、みんなで頑張って保有率を上げていこうと活動を行っています。
 市長をはじめ防災安全課の皆さん方にもご指導をいただいています。これも大きなバックアップになっている。「誰も来ずに、何か勝手にやっている」わけではないところが、国分寺市のえらいところであると思っています。
【紙田】
 市のサポートと住民の意識がうまい具合にかみ合っているということが一番活動を進めている原動力かなと感じます。
 実際に大規模災害を経験された田中さんは、市の役割についてどんなことを思われていますか。
【田中】
 災害発生当時、行政のリーダーに具体的な行動を指示してもらうことは難しかった。例えば、死体安置所もどこに安置するのか決まっていないなど、一つずつ自分たちの中で解決していく必要がありました。
 新しい計画をつくるときには、やはり市のほうが主導的になりがちですが、実際にそぐわないものがあったら、自分たちは違うと、強い意志で変えていったほうがいいと思います。
 市の協力もないと計画は進みませんが、住民が主体になって、市はその背中を押してくれるような立ち位置で指導してくれればいいのかなと今強く思っています。
【紙田】
 やはり市はサポートに徹する。実際、現場でどんどん決定しているのは地域でやっていくしかない。そういう状況に、実際の災害時にはなっていく。地区防災計画をつくることによって、市に災害対策本部があるように、各地区にも災害対策本部があれば、市のほうも助かるのではないでしょうか。
 それでは二つ目の論点。地区防災計画を住民の意識向上や今後のまちづくりにどう活かすか。宇治田さん、コミュニティの変化についてもう一度お話しいただけますでしょうか。
【宇治田】
 私がお世話になった地区は、住民が意見を言えば、行政はその通りに工事を行ってもらえるものと考えている風潮が感じられる地区でした。まずは住民が自分たちで取り組まなければならない、自分たちでも取り組めるのだということを広めることが、とても大切だと感じました。
 話がそれてしまうのですが、2年前の熊本地震の際、住民が立てる復興計画に参加した時に、大失敗したことがありました。自分たちの暮らしをこれから考え、こう暮らすから、ここに広場がいる。このように暮らしたいから、このような道路がいる。皆さんが考えたことを、形にし、住民に提案するところまでいったのですが、「私たちがこう言っても、もっと被害の大きな地区のことを考えると言ってもしようがないから、このまちづくり計画は今後つくるのをやめる」と。住民どうしの気持ちを高めていく、自分たちでまちづくりを進めるのだという気持ちを十分に支えてあげられなかったなぁと後で反省しています。
 意識を高めていくのは大切ですが、もう一つ工夫が必要なのかなと自問自答しているところです。
【紙田】 
 まちづくりあるいは自治会活動に消極的な方々の意識は、どのようなことで変わってこられたのでしょうか。
【櫻井】 
 ほとんど参加していない方でも、総理大臣賞、総務大臣賞などの受賞が回覧板の記事に載ると非常に関心が高まります。それが底上げにつながっている。
 上がったものを下げないための努力としては、例えば、防災ファミリーひろばのような会を持って、午前中は防災訓練、お昼は炊き出しの豚汁とおにぎりを食べて、午後は昔遊びを3世代揃っておこなう。みんなで楽しく遊んでいると、おじいちゃん、おばあちゃんも非常に活性化され、自治会活動にもつながってくるという、いい影響が出ている。そういうことを、きっちりやりきる。しかし毎回、同じような手法で、同じようなことをやっていたら、やはり飽きてくるんですね。飽きてくると「もういいわ」ということになってしまうので、工夫をしています。
 例えば、参加記念として、前年が防災グッズだったら、翌年はリンゴを配ってみたり、など工夫しています。
【紙田】
 市のほうでも一生懸命サポートしていることから、市全体への波及効果というのはどんなようなものがありますか。
【東福】
 市では、防災まちづくり推進地区が策定した地区防災計画を、推進地区以外に居住している方々にも知ってもらえるような取り組みを行っています。出前講座等を活用して事例紹介をしたり、市民向けのイベントとして策定した地区防災計画の発表会などを行っております。
 防災まちづくり推進地区に対しては、会議の場で情報提供を行ったり、推進地区同士での交流会で発表を行ったり、積極的に取り組んでいます。また最近では市内にとどまらず、市外からも、視察やヒアリングなども多くいらっしゃいます。その際、決して断らずに、いい事例はまねしていただきたいと思っているので、出し惜しみせず、事例紹介などを行っています。
【紙田】
 それでは三つ目、地区防災計画をつくっても、継続的に見直していかなければならないというお話がありました。田中さんは災害を実際に経験されて、計画の見直しという点ではいかがでしょうか。
【田中】
 地震など大きい災害のときに携帯は使えなくなることを想定していて、今回の震災で活かすことができたのですが、遠くの人と連絡を取るため準備していたライトや、拡声器は、1回も訓練で使ったことがなく、実際の津波のときには拡声器は流され、ライトは電池の補充がなかったので使えなかった、という痛い経験がありました。
 本当に明かりがないところだと救助活動もままならず、不安も募るので、電池の備蓄よりはダイナモか何かで発電できるようなものが常備されていれば、ラジオも常に聞くことができると思いました。
【紙田】
 昭和59年につくられてから、改定を経験されていらっしゃる高木町自治会さんはいかがでしょうか。
【櫻井】
 高木町自治会では、例えば、防災計画をつくったら終わりではなく、必ず検証します。その計画に基づいて実際にやってみる。そして検証を重ね、次の回に生かす。また、私どもは半年に一度、班長が代わります。その代わるのに合わせて地区防災計画の勉強会を行う。こういうことを継続しておこなっています。そしてそれを、今度は実地にやってもらう。資機材をどうやって使うのかということまで含めて、しっかりやっていくことが大事だと思います。
 また自治会を担う人材が非常に不足している。3世代の活動などをしっかりやって、その中から人材をピックアップして引っ張り込むという活動も続けています。
【紙田】
 やはり皆さんを引っ張り込むことが必要なのですね。
 宇治田さまは北海道の厚真町でも避難訓練をされたと。平常時からどのように運用していくのが重要でしょうか。
【宇治田】
 地区防災計画が活かされるには訓練が大切だという指摘があります。今回の訓練はそもそも何をねらいにするのか。みんなマニュアルどおりに動けるか。それだけをチェックするというねらいでやるのか、それとも、失敗しても当然だというぐらいで臨むのか。訓練のそもそもの目的を、みんなが理解して臨むことが大切かなと思っております。
 北海道厚真町での地震の1年前、同地区で訓練を企画しました。2カ月前の地震では幸い津波の被害はありませんでしたが、津波に遭って皆さんが家を失ったあと、水、電気、ガスが使えない。そんな中で、どのように暮らしていくのかというのを試しに体験してみよう、という訓練を去年、実はやっておりました。そのノウハウが使われていたのかなと期待しているところです。
 あともう一つ。いっそのこと、地域が防災上の課題があるということをみんなの自慢として臨んでもいいのかなと。先ほどいわきの事例を紹介させていただきましたが、事前の基礎調査ということで、過去どのような災害があったのかを事前に調べました。
 過去の新聞記事30年分を読み、昭和何年の台風何号でどこで水があふれたとか、そういったことを事前に調べました。地域の皆さんも実はご存じだったのですが、当時一番知識レベルが低かったのは私でしたので、一生懸命勉強しました。そんな形で皆さんのほうへ「実はこういうことが昔あったんですね」と申し上げたところ、皆さん、顔つきが変わり生き生きとしました。「私たちはこんなに歴史のあるまちなんだ」「いろいろな情報があるまちなんだ」ということで、皆さん逆に前向きに捉えていただけました。義務感ではなく、逆にポテンシャルがあるという捉え方が感じられました。防災というと、どうしても後ろ向きな側面がありますが、いっそのこと、もっと前向きに捉えてもいいのかなと思いました。
【紙田】
 本当にそうですね。実際に災害が起きたらこうなるのかというのを新しく知ること。それから、昔の記憶をたどること。それらは、悲しいことではなく、未来に向けて皆さんの力になるのかなと思います。
 それでは会場の方々から、ご意見ご質問お願いします。
【質問者1】
 港区に住んでいる者ですが、防災計画は住民の方から上がってくるのを市がサポートするというお話がありました。港区など23区の場合、人口が多すぎて、住民の中から防災計画を出すのは非常に難しいのではないかと思います。やはり行政などが方針を出さないと何ともしようがないのではないか。
 最近感じているのは、緊急時の防災無線がほとんど聞こえません。直接音で伝えるということは非常に大事で、東日本大震災でも最後まで防災無線のマイクを握り続けていたという市の職員がおられましたね。
 今はスマートフォンなどワイヤレスの技術は非常に進んでいるわけですから、もっと市や政府がイニシアティブをとって精度のいい防災無線を各地に設置してほしいと思います。
 それから建築という点から言うと、やはり首都圏には公園がない。だから避難する場合、ある程度公園の領域を確保していただければいいなと思います。
【紙田】
 無線が聞こえない件では田中さん、いかがですか。
【田中】
 私たちの地区は旧田老町のときに個別無線機といって、各家に防災無線が入るようになっていましたので、悩んだことはなかったのですが、合併後それが廃止され、今度は個々に購入するという形になるのかもしれない。まだ私もよく分からないところですが個別無線機は便利です。
【紙田】
 あと、人口の多いところでの地区防災計画の策定に関してはいかがですか。港区ではきっと不燃領域率が非常に高いため、自宅避難で避難場所まで行かない。なるべくなら自宅で避難する。あるいは帰宅困難者の方々を地区のマンションなどで受け入れる。そのような取り組みが必要になってくるのかなと考えますが。
【櫻井】
 7年前に会長になって、最初の防災訓練のとき「市の合図が聞こえないじゃないの」と指摘されました。私は7年間ずっと言い続けました。改善されるところは改善されているのでしょうが、いまだに聞こえない。市も聞こえない場所は分かっている。そこにきっちりアンテナを上げ、マイクをつけ、スピーカーをつければできるけれども、なかなか場所の確保ができないということをおっしゃっていました。
 市のほうも、お互いに協力してやっていくという姿勢を示してもらわないと、うまくいかないと思います。それをはっきり言えるかどうか。また、それを言えるだけの人間関係をつくっているかどうか。お互いに反省して、きっちりやっていこうというのがまさに防災計画です。ですから防災計画というのは、さっき先生がおっしゃったように、私に言わせればまちづくりです。
【紙田】
 まとめていただいて、どうもありがとうございます。ほかに。
【質問者2】
 平成25年に水防法が改正されて、地域の持てる力、あらゆる主体を結集して水防に関わるという改正がありましたが、地区防災計画にも言えることだと思います。産・学・官・民の連携など、そこで企業がどうやって関わっていくか。企業が、市民、行政と一緒に防災計画に組み込まれていくというのが僕は理想だと思っています。そんな事例があれば。
【紙田】
 宇治田さんのほうで、企業がたくさんあるエリアで地域BCPをされていたというご経験があると思います。
【宇治田】
 私の会社の事務所が、千代田区にあります。港区もそうですが、千代田区内は大きな災害が発生すると帰宅困難者が大量に発生するというのが地域の一つの課題になっている。それに対してどのような対策、どのような活動があるかが課題としてございます。
 帰宅困難者対策地域協力会という企業同士の自主防災組織、活動がございます。いざというときには、まずは社員を帰さない、帰宅困難者を自ら出すな。来訪者、お客さんなどで帰れない人については可能な範囲で、会議室やホールに留まっていただけるように。あるいは、道案内などができるように。
 それから会社同士で「◯◯の交差点は人が混んでいる」「◯◯は停電している」など、お互いに連絡が取れるようする取り組みを進めているところです。
【質問者2】
 CSR活動でまちの掃除をするとか、そういうことはやっておられて、その活動報告書を株主に見せて株が上がるというWin-Winの関係にある予算を、BCPをDCPに広げるのに使えば、本当に地域に根差した企業として成り立っていくのではないかと私は考えています。マンションだけで閉じてマンションの価値を上げるなど、そういう閉じたBCPではなく、地域に広げていってほしいというのが私の願いです。
【紙田】
 どうもありがとうございます。それでは最後に皆さま方から、会場の皆さまに一言ずつお願いします。
【東福】
 まちづくりや人づくりの取り組みというのは、防災のようなさまざまな観点から評価される、ということをお伝えしておきたいと思います。地域の特色を把握して、将来像、どうしたいかをイメージして取り組むことで、地域づくりに貢献していけると思っております。
【櫻井】
 防災力の強化というのは継続してやる以外にない。そしてまた訓練は決して皆さんの努力を裏切らないということです。これを忠実にこれからも実施していくことが重要ではないかと思っております。
【宇治田】
 防災、まちづくりを動かしていくのは機械でもなく、コンピュータでもなく、人だと思います。そういうことが分かる人を増やしていくことが大切なのではないかと思いました。私もきょうは勉強させていただきました。
【田中】
 何気ない日常や、ささやかな幸せを築き上げてきた環境を一瞬にして失う。この絶望感はもう味わわせたくない。震災に遭ってから、再建のスピードも住民それぞれ違います。それを統一するというのはすごく難しい。
 ただ私が震災を受けて、今強くやりたいのは、人災ゼロ。人が亡くならなければ、再建するスピードは違ったとしても、また幸せな生活を取り戻せるかもしれない。そのためには生きていかなければいけないし、命の大切さを皆さんに訴えたいと思っています。
【紙田】
 皆さん、どうもありがとうございました。地区の防災について考えること、実践することは、まさに現在そして未来の、住みやすいまち、安全なまち、魅力あるまちをつくることにつながる。そしてその活動は一部の人、防災が好きな防災マニアがやるまちづくりではなくて、みんなでやることによって、まちが暮らしやすくなっていく。継続してやっていける、生きたものになっていくということが分かりました。
 それではきょうのプログラムはこれで終わりにさせていただきます。きょうはご参加、どうもありがとうございました。
(了)

ギャラリー