テーマ:レジリエント東京

―レジリエントなまち、人、しくみをつくる知恵―

 日本各地で自然災害が多発しています。人口減少・高齢化、インフラや建築物等の老朽化などにより被害が拡大し、対応が困難になる事態も発生しています。このような中、真にレジリエントな社会づくり、地域づくりが求められています。レジリエントな社会とは、まち、人、しくみなどが、自然の脅威に屈しない「抵抗力」と素早くもとの状態に戻れる「回復力」を兼ね備えたしなやかな社会です。
 本シンポジウムでは、レジリエントな社会、地域とはどのようなものか、それを実現するためには何が必要か、各界の専門家や実践者が問題を提起し、議論することにより、目指すべき方向を探ります。

対象(参加費無料、参加申込不要)
・まちづくり、防災に携わる行政担当職員の方々
・学生
・防災に興味のある一般の方々
開催日時・場所
2019年11月2日(土)13:00~17:00
慶應義塾大学三田キャンパス 北館ホール
所在地:〒108-8345 東京都港区三田2-15-45

●サステナブル防災都市・建築学寄付講座 ホームページ

※講演は終了いたしました。

講演スケジュール

趣旨説明 13:10~13:35

慶應義塾大学 理工学部 システムデザイン工学科 教授

小檜山雅之


基調講演 13:30~14:30

「東京はレジリエントな都市に向かっているのか」

首都大学東京 副学長・大学院都市環境科学研究科・建築学域教授

吉川 徹氏


パネリスト講演 14:35~15:55

1.「東京から学ぶこと:新自由主義的再開発に代わる創発的都市パターン」

慶應義塾大学 理工学部 システムデザイン工学科 准教授

ホルヘ・アルマザン


2.「空き家・空き地は「地域のリスク」?「地域の資源」?」

慶應義塾大学大学院理工学研究科 特任教授
紙田 和代


3.「地域が支える地域生活の継続計画(DC)の取り組み」

一般財団法人都市防災研究所 理事・上席研究員
守 茂昭 氏


4.「豊島区居住支援協議会の取り組みと課題」

豊島区都市整備部 住宅課長・マンション担当課長
星野 良 氏


パネルディスカッション 16:05~17:00

「レジリエントなまち、人、しくみをつくる知恵」

コーディネーター:小檜山 雅之

パネリスト:守茂 昭氏、星野 良氏、紙田 和代、ホルヘ・アルマザン

講演者

吉川 徹氏

吉川 徹氏

首都大学東京 副学長・大学院都市環境科学研究科・建築学域教授

ホルヘ・アルマザン

ホルヘ・アルマザン

慶應義塾大学 理工学部 システムデザイン工学科 准教授

紙田和代

紙田 和代

慶應義塾大学大学院理工学研究科 特任教授

守 茂昭 氏

守 茂昭 氏

一般財団法人都市防災研究所 理事・上席研究員

星野 良 氏

星野 良 氏

豊島区都市整備部 住宅課長・マンション担当課長

小檜山雅之

小檜山 雅之

慶應義塾大学理工学部システムデザイン工学科教授


講演内容

※以下は当日の講演内容を要約したものです。敬称などは一部省略していますことをご了承ください。
※タイトル部分をクリックするとボックスが折りたたまれます。

 都市、社会を災害から守り、持続的な発展を目指すためには、高い専門的な技術を持ったエンジニア、都市プランナー、行政実務者などが必要です。従来の大学教育では、このような専門家の育成を行ってきましたが、近年、組織の縦割りの間隙を縫うかのような災害が発生しています。高い専門性を持った人が他の分野の専門家と協働し、サステナビリティを考えた都市・建築をデザインしていく必要があります。こういった専門家を育てるために2017年度より寄附講座を開設し、本塾理工学部、大学院理工学研究科に授業を設置し教育・研究活動に取り組んでいます。
 「レジリエンス」という言葉は、材料力学では、ゴムのように復元力がある性質をもつものが、ひずみを与えても元の形に戻ってこられる限界まで蓄えられる(単位体積あたりの)エネルギーを意味しています。日本語では「しなやかさ」という言葉に近い。社会学の分野では災害、気候変動などの擾乱を吸収できる社会システムの力、経営学では活動阻害のリスクを管理、マネジメントする組織の力を表しています。そして防災分野では、構造物、都市などが地震、風、洪水などの外力・外乱に耐えてダメージを受けても素早く回復する能力を表しています。都市のレジリエンスは、これらの定義をすべて包含したようなものだと思います。
 近年、学会ではこの言葉に注目して、さまざまな活動が行われています。例えば日本地震工学会では、地方自治体の災害レジリエンス評価を行い、都市の防災力を高める方策が検討されています。また日本建築学会では、事業継続のため、建物のレジリエンス性能とBCPレベル指標の提案を行い、都市の防災力を高めるよう検討を進めています。
 都市・建築のデザインの分野では、米国地震工学会の論文誌に掲載された論文が大きなきっかけとなり、レジリエンスの概念が普及してきました。 この論文のエポックメーキングな考えは、建物が倒壊し、社会の混乱が起こったあと、横軸に時間軸を取って、そこから速やかに回復することの重要性を指摘したことにあります。その中では四つのRという特質が指摘されています。最初がRobustness、耐える強さ。従来の設計でも考慮されていた抵抗力。2番目はRedundancy、代替あるいは予備するものを用意しておく冗長性。3番目はResourcefulness、人、物、情報を含む資源の豊かさ。4番目がRapidity、回復力の速さ。
 日本でも、もともとそういった考えは存在していました。災害対策基本法第二条では、「防災」とは「災害を未然に防止し、災害が発生した場合における被害の拡大を防ぎ、及び災害の復旧を図る」ことと定義され、災害前の備えに限らず、災害直後や災害後のことも念頭にあったと思われます。災害は、繰り返し何度も起こるもの。災害の発生に備えて、私たちはハードの備え、ソフトの備えを事前に行っておく必要があるのではないでしょうか。
 今、真に必要とされているレジリエントな社会づくり、地域づくりについて、レジリエントな社会、地域とはどのようなものか。それを実現するためには何が必要か。本日は、多くの専門家と議論して、目指すべき方向を明らかにしたいと思っています。
 ロックフェラー財団の100 Resilient Citiesプロジェクトには、「都市のレジリエンスとは、都市内の個人、コミュニティ、機関、企業、およびシステムが、どのような慢性的なストレスや急性ショックを経験しても、生き残り、適応し、成長する能力である」と書かれています。
 慢性ストレスとは、日々または周期的に都市の構造を弱めるもの。高い失業率、非効率的な公共交通システム、地域にはびこる暴力、これらの慢性的なストレスで、都市が徐々に活力を失っていく。急性ショックは、防災という言葉で、長らく都市計画の人間が取り組んできたこと。都市を脅かす突然の鋭い出来事。例えば病気の大規模発生、テロリストの攻撃、疫病の発生といったもの。
日本がこの2点について気にしてこなかったのは、19世紀以降、あまりに都市計画が成功したからですが、今再び、われわれは都市の危機を考える時代に直面しています。
 東京都では現在、大規模な都市更新プロジェクトが目白押しです。それぞれの巨大なピースで東京という巨大なジグソーパズルを作り直しています。しかし東京都のウェブサイトにはレジリエントなどの言葉が数カ所ありますが、現時点で都政全体を包含する指針として、レジリエントな都市というキーワードは見られません。
 この大規模なプロジェクトで作り出されてくる東京は、レジリエントな方向に向かっているのでしょうか。参考に3つの研究結果を紹介したいと思います。
1. 超高層住宅は、利便性という観点から見てどうなのか?
超高層集合住宅の実際の距離の構造は従来われわれが想定してきたものと違っています。縦方向をエレベーターありきで考えると便利ですが、徒歩ということになれば、非常に困難になってしまう。
2. 巨大な都市施設は新たな災害リスクを生むのではないか?
例えば救急車の到達時間は都市のレベルで測られていて、建物の中については測られていない。大規模施設にAEDをいかに効率的に配置するかなども戦略的に考える必要があるのではないか。
3 郊外の空き家は具体的にどういうところに出やすいか?
郊外では計画住宅地が古いところが空き家がよく出てくるという特徴があります。一般の普通の市街地は、空き家になりにくく、旧市街地もなかなか空き家にはなりにくい。
 東京におけるレジリエントな都市を実現するためには、多彩な都市の新陳代謝の手法を用意しないといけません。大規模プロジェクトのように、全部を巨大なピースだけでパズルを組むのは、リスキーではないか。多数のステークホルダーの協調を図るコーディネーターの育成、コーディネートをすることが必要だと思います。
もう一つ重要なのは、建てることを目的化してはならない、ということ。今あるストックを最大限に活用することが、レジリエンスという観点からは良いのではないでしょうか。
慢性ストレスも急性ショックショックもはね返せるようなレジリエント(しなやか)な都市を実現するには、これらのことが必要だと考えています。

【質疑応答】
 質問者:高層マンション以外の中層マンション、戸建住宅地などと、高層マンションの評価の仕方の比較、違いがあれば、教えてください。
 吉川氏:戸建の住宅地、小さな建物が集まった市街地でも、手法的にはこれらが適用できるが、少し方向を変えて考えるべきではないか。私どもが捨てるべきなのは、おそらく、戦前から戦後にかけてわれわれが形成してきた戸建住宅地と戸建住宅というもののパラダイムだと思う。郊外の広大な場所を前提にしてきましたが、今どんどん敷地が小さくなっても、われわれの行動が変わらない。ミニ戸建てのようなものは、災害時には、ウイークポイントになりかねない。もちろん合法ですが、大規模な災害が起こる時代に、果たして建築基準法がついていけているのか。そういう考えを改めて、例えば京都の町家とか、伝統的な知恵、あるいは海外にも多くの事案があるので、小さな市街地を密集させるときにどういうことをすべきかという最適な考え方を入れ替えるべきではないでしょうか。
 あと、空き家になった商店街をどうするかが、もう一つ重要なキーだと思う。おそらく多くの場合、そのような空き家において、所有者には活用するというインセンティブがありません。インセンティブをどうやって与えるのか、どうやって共有できるのかが、非常に重要なのではないでしょうか。
 しかし、基本的には個別の人たちがバラバラと持っているところが多いと思われます。子どもはサラリーマンでいいところに勤めていて、本人たちも「あとは大丈夫、貯金で」みたいな感じで、1階を住宅にしていたりする。これらについては別の戦略が必要。その二つを組み合わせないとうまくいかないが、いずれも定量的な議論ではやりにくく、少々悩ましいというのが正直なところです。
 既存の東京は非常に効率が悪いから、全部壊し、まとめて一つの公園にしてタワーにすればいい、災害時は集まることができ、安全な都市になる、という考え方があります。既存のコミュニティを全部壊し、どんどんタワーを作るというアプローチ。これは歴史的には既に実験されていて、主に70年代のヨーロッパ、アメリカで批判されたため、以降は基本的に行われていません。ル・コルビュジエなどは100年前にいろいろと提案しましたが、実験の結果、うまくいかなかった。犯罪率は増え、空き家にもなる。結局こういうモデルはヨーロッパにはできませんでした。
 日本は都市としては、欧米よりも非常に東アジア的な現象です。このような都市開発が80年代からどんどん進んでいる。これは本当にレジリエントなのでしょうか。行政は力を入れサポートしているが、そんなに劇的に東京を変えるべきなのか。文化的な背景は違うが、昔の知識、70年代の欧米の批判も含めて検討したほうがいいのではないでしょうか。
 ひと言で言うと、「サステナブルなのか」。サステナビリティは環境、経済、社会、三つの軸に分かれます。環境的には、日影、ビル風、ヒートアイランド現象など、巨大なビルは環境に非常に大きな影響があります。経済的には、タワーマンションの増加で東京は郊外化され、イノベーションやクリエイティビティが下がっています。社会的には、「ジェントリフィケーション」の問題。再開発でタワーマンションに住むこともできるが、移動する人口も多い。それによって格差社会が進む。
 地域コミュニティにおける連携は、災害・災害復興時に非常に有効です。タワーマンションなどでは、連携やコミュニティが作りにくい。「問題は意識しているのだが、代わりに何をすればいいか」と国土交通省からアプローチされたこともあります。省内でも意識は変わってきているので、ガイドラインをこれからあらためて考えるべきだと思います。
 少なくとも大きな原理としては、コミュニティが生まれやすい小さいスケールを、壊すよりも生かしたほうがいいのではないでしょうか。小さいから弱いのではなく、小さいスケールが集積して、大きな秩序、力、ユニットになるという考え方。創発的な秩序、個々の創発性を生かす。その例としては、戦後の横丁の小さいお店。それぞれは独立しているが、一緒に働き、集積されていることで、「ゴールデン街」というアイデンティティが生まれる。小さいユニットから大きな秩序を作るというアプローチです。
 また歌舞伎町の雑居ビルのような場所では、道からお店、事務所までスムーズにつながっているため、非常に垂直化された街路のように働いています。東京の人口密度を上げるためには、一つのモデルになるのではないでしょうか。海外から見ると、東京タワーなどよりも場所性、アイデンティティが強いので、景観的にも非常にポテンシャルがあると思っています。
 小さいものによって大きな秩序を作っている例は少なくありません。アメ横のような高架下空間は23区内には非常に多く、たくさんの小さいお店を作ることができ、物理的に集積しているだけではなく、組合やアソシエーションもあります。それはほかの都市には見られない東京の一つの力ではないでしょうか。
 あるいは私は「MAT-HOUSING」と呼んでいますが、戸建住宅、低層住宅地域。外側に強い建物を作って、中には路地の多い、コミュニティが生まれやすい構成を残す。見た目はきれいではないかもしれませんが、非常にケアされ、植物などでコミュニティが意識されている場所が多い。
 これからの都市計画は、東アジアの新自由主義的なアプローチでいくのか、それともこのような創発的なアプローチでいくのかを考える必要があるのではないでしょうか。
 私は密集市街地の整備などを専門とするコンサルタントとして、まちづくりに30年ぐらい携わってきました。今回は、実生活での取り組みを紹介したいと思います。
 現在、空き家はどんどん増えています。2018年で住宅全体の13.6%、6軒に1軒が空き家。「空き家」には、賃貸用の空き家、売却用の空き家、二次的空き家、「その他の空き家」と4種類あり、問題は「その他の空き家」。家財道具が残ったまま、誰も住む予定がない、売買・賃貸の対象でもない。老朽化、耐震性がないなど、現在のニーズに合わないために、市場価値がなくなっています。
 東京都では、賃貸用の空き家が72%で大部分、22%が「その他の住宅」。日本では世帯数よりも住宅戸数が上回って久しいのですが、今でもタワーマンションは作られています。住宅はこれからも余っていくでしょう。
 空き家の発生は、防災性、防犯性の低下、またごみの不法投棄で衛生が悪化、また風景、景観の悪化、などの問題も派生させています。
 この状況の中、都市を改善していく方法としては「改造的」なやり方、「修復的」なやり方があると思います。
 改造的なやり方は、区画整理や再開発などで、居住者もガラッと変わってしまうような方法。
 私の専門の密集市街地の整備は、修復的なやり方で、密集市街地の一部分を建て替えたり、緊急自動車が入るべきところだけ路地を拡充したりします。しかし下町に8m道路ができ、建売住宅が増えると、下町情緒のようなものが失われてしまう。維持・管理的、サステナブル、かつエリアマネージメント的なやり方、コミュニティを最優先させるような、三つ目のやり方はないのだろうかと日々、考えてきました。そこで墨田区での活動を紹介したいと思います。
 私の住む「キラキラ橘商店街」はにぎわっているのですが、そこでも空き家が出ています。レトロな商店街、長屋が残る反面、近隣に建売住宅が増えています。そこを家守の後藤氏、金谷氏が、面的に下町情緒を回復するべく取り組んでいます。空き家は「レガシー」だと考え、その場所独自の歴史、文化を守り、ふさわしい形で再生・維持管理することを目的に、空き家を発掘しています。それを借り上げ、買い取ってリノベーションし、管理・転貸することで、新しい人や商店が入ってくる、そのような活動をしています。
 共同住宅でも、15年位前から、トータルリモデルという形で行われてきました。旧行政庁舎が一斉に売りに出された際、買い取って、さまざまな民間組織が取り組んでいます。昭和40年代の食寝分離のような建物の階段室を、全て壊して一つにし、廊下型の住宅に変えました。あまりふれあいがなかった住宅を、共同住宅ならではの形に変え、これは既に市場化されています。
 これらの事例では、新築するより経済的に優れ、工事期間も短縮されています。市場に乗せるには、古い空き家を解体除却する新築が最も一般的ですが、実際にはリノベーション、コンバージョンによって再生すると、環境面でも経済面でも優れている。問題としては、新築するほどには長く使えないという点があります。
 空き地の活性化事例として、千葉県柏市では、多くの空き地を、シェアガーデンやコミュニティ農園などにし、イベント費用の補助を出したりしています。
 国交省の空き家対策支援としては、ニーズに合わせた用途に転換するときに、建築基準法で、面積100平米からの申請義務だったのを200平米にして敷居を低くしています。また、市場に乗らない空き家は、活用に限らず、子育て世代への定住促進や地域活性化など、複合的な施策の実現のために、補助金、支援などの体制を整え、プラットホーム事業として、役所も力を入れて行っています。
 空き家も空き地も、管理していない状態、人の手が入っていなかったり、人の目が行き届いていない状態だと、地域のリスクになってしまいます。それを地域の資源にするには、やはり人々が使っていくということが重要だと思います。
 丸の内には約25万人のサラリーマンがいますが、住民票を持っているのは19人のみ。このアンバランスさがこの地区にとっては非常に危険だと言われて久しい。皆が行きずりの人で、災害時に迅速に手を打てる人が少ない。
 これを緩和するため、サラリーマンの中にその街を「見る」人を人工的に作ることが、私が所属する東京駅周辺防災隣組の主なテーマでしたが、近年、今までの防災計画に足りないものが顕著になってきました。
 過去の安全管理は、拠点を守ることが基本でした。駅、ビル、家を守れば、ほかを考える必要がなかった。封建時代は、砦の安全を確保していれば国が治まった。今は、拠点と拠点の隙間に大量の人がいつでもいるという時代です。昼間の都市には、動いている人が動いている間だけ形成する「暫定的なコミュニティ」が存在し、この管理が必要な時代が来ています。問題は、暫定的であるが故に、その中にヒエラルキーが作れないという点です。
 移動する市民に高度な被災対応は期待できません。どこに防災倉庫があるか、何の装備があるかも分からない。不特定多数でも対応できる防災計画を考案しなくてはいけません。
 この中でDCP(District Continuity Plan)という考え方が出てきた。BCP(Business Continuity Plan)は過去に内閣府が推奨していたもので企業が持つ機能を特定のものにしぼり、被災時にも必ず動くようにする。この言葉を参考に、DCPという言葉を考えた。
 従来の自治体の地域防災計画は、建物の耐震化、水、食料などの備蓄、それから避難場所の確保は懸命に行っています。その次に、復興に向けて必要なものが通信、電気、トイレ。これらのインフラとその装置を動かす担い手を担保するまちが、丸の内のあるべき姿だと考えてDCPを提唱しました。
 幹線沿いの十数kmごとに、電気が確保されたビルや、電話が通じる場所を作っておけば、壊滅的な状態でも、新宿まで行けばトイレが使える、立川まで行けば電話がつながる、そんな都市を作ろうと。
 しかしインフラだけを作っていては駄目で、そのインフラを誰が動かすかを併せて設計していかなければなりません。誰が猫に鈴をつけるのか。鈴をつけることは誰も反対しません。ただ、「誰がやるのか」になると突然、議論が止まってしまう。この辺がDCPであり、次の都市政策、都市のインフラづくりのときの一番の課題だと思います。
 暫定コミュニティが管理する方法、ノウハウを考える中で、最後は人間が必要なのですが、設備、技術で実現可能な部分もあります。その意味で、AIを活用するという道もあるでしょう。
 建物をデジタル的に把握できる技術を基本に、全都市の把握にもつなげようという動きもあります。例えばシンガポールではデジタルデータで市内のほとんどの建物を把握できるよう進めています。
 ただ問題も出ています。デジタル化したスケールと過去の測量で位置座標が合わなくなる、AIの判断に任せて失敗したときに、誰が責任を取るのか。まちがどうあるべきかという総合的な判断には、AIは機能しにくいのではないでしょうか。AIによってある程度の進歩は可能でしょうが、最終ゴールにはならないのではないか。
 藤沢サステナブルタウンは国交省が先進モデルとして宣伝していますが、運営している方々は、そんなに先端という気持ちではないようです。むしろいかにして住民の世話をするかというところにエネルギーを割いています。
 担い手がいるようでいない都市計画は、サステナブル防災都市に本当に変質するのかどうか。今の都市は、インフラを「使う人」よりも、インフラを「作る人」のほうが立場が強いところがあると思います。これを逆転できるような瞬間がいつか来てくれないかと思っています。
 ウェアラブル・コンピュータのように、「ウェアラブル都市」というぐらい、軽く、脱いだり着たりできる、簡単な都市インフラの技術が将来実現するなら、使い捨てのように便利に都市を使える日が来るのかもしれません。
 豊島区は商業・業務機能が集積する池袋駅を中心に、大塚、巣鴨、目白など、利便性の高い住宅地が広がっています。日本一の高密都市、全国一の人口密度、商業、繁華街のイメージが強いが、人口も増加を続けており、居住ニーズも高い。23区で最も高い空き家率、2番目に高い単独世帯率、のような特徴もあります。
 国が定める最低居住面積水準未満の、いわゆる狭い住居に住む方は23区平均より少し高く、特に民営借家の方がより狭い住宅に住んでいます。
 豊島区居住支援協議会は、住宅確保要配慮者の民間賃貸住宅への円滑な入居の促進等を図るために、行政、不動産団体、居住支援団体等が連携して協議会を設立し、要配慮者、賃貸人の双方に対して、住宅情報の提供などを支援しています。空き家が多いという地域特有の課題に着目し、居住支援という側面から地域課題の解決を目指しています。また、居住支援バンクも構築したり、「としま居住支援バンク」のホームページでは具体的な物件を情報提供しています。
 国の調査では、高齢者の単身世帯が今後100万人増加するというところもあります。また、家賃滞納等への不安から、オーナーから入居拒否をされるような現状があります。
 民営借家に居住する単身高齢者、高齢夫婦世帯いずれも増加しています。さらに、単身高齢者の4割近くが民営借家に居住しています。
 一方で、民間の調査では約7割のオーナーが、高齢者世帯の入居に拒否感があるといいます。理由は、家賃の支払いに対する不安に加えて、居室内での死亡事故等に対する不安。良質な物件、新築や耐震性がある住宅は提供できないという話は非常に多い。
 また国でも、住宅セーフティネット制度が平成29年から開始され、オーナーに対するさまざまな支援がありますが、不動産会社がまだ誤解しているケースが多い。住宅確保要配慮者は、生活保護受給者だけではなく、高齢者、ひとり親の方、障害者の方などさまざまです。セミナーの開催や、不動産会社を個別に訪問する普及啓発に力を入れています。
 豊島区ではこれらの活動によって、空き家・空き室の利活用を一番に目指しています。また、オーナーの不安を払拭するために、さまざまな居住支援サービスも民間レベルで多く出ており、見守りサービスや、入居者が亡くなられたあとのいろいろな補償を提供しています。行政としてもどのようにこの住宅確保に関与できるか議論をしているところです。
 不動産会社も今後は単身高齢者、さらには外国人などをターゲットにしていかないと、賃貸経営が成り立たなくなってくると思われます。そういった意識の転換、人口構造等を行政としても伝えていく必要があります。
 「としま居住支援バンク」は、設立から7年程ですが、物件の登録が低迷しています。耐震性がある良質な物件は基本的には市場で回したいという意向で、なかなか登録が進まない。国でも類似の制度が始まり、重複している部分もあることも一因かもしれません。制度の周知を、多様な手段で継続的に行うことが重要だと考えています。
 さらに最も大事なのが、高齢者の入居に拒否感があるオーナーの存在です。たいへん重い課題ですが、亡くなられたあとの対応を懸念する人が非常に多い。これに対して、行政がどのような市場に関与する仕組みを設けるか。これまで入居者側の家賃助成などは行ってきましたが、65歳単身という状況になると、現状では資力のある高齢者でも入居を拒否されてしまう可能性が高いのが実情です。
 居住支援サービス、見守りや、亡くなられたあとの補償のような部分は今後、キーになってくると思います。行政としても、そのようなサービスについて深く関与して支援していく必要があると考えています。
【小檜山】
 昨今、非常にいろいろな場面でレジリエンスという言葉が使われるようになってきました。その背景には、これまで防災で見落とされていたり、軽視されていたような視点があって、それをレジリエントという新しい言葉でしっかりとやっていくべきだという考えがあるのだと思います。
 最初にパネリストの方々から、これまでの防災で見落とされていた点、あるいは軽視されていた視点についてコメントをいただけますか。
【アルマザン】
 今日は、再開発のあり方と、既存の東京の小さいスケールのよさと活用の可能性について話しました。基本的には、現状の再開発には見落とされている危険性があることに賛成なので、そこは大きな議論にならないと思います。
 一方、大きな論点は、空き家の話です。私は実際に空き家のリノベーションや研究も行っていますが、やはり活用するのはとても難しい。たぶん今の時代は、空き家を資源にすることにはみんな賛成だと思う。古いところはストックをリノベーションすれば、サステナブル、エコロジカル、あるいは本当に美的にすごく美しい。ただし、実際に現場から見るとなかなか難しく、なかなか進まない。なので、現実的にはどうすればよいかについてはディスカッションが少し足りなかったのかなと思います。たぶん、空き家は、コミュニティに関してすごく意識が強い方しか提供しない。理論的には大丈夫だが、実践的にはなかなか難しいという印象を受けました。
【紙田】
 アルマザン先生のお話を受けて、やはり空き家を活用すべきというのは、本当に皆同じ意見だと思います。いろいろな支援制度や緩和措置もできていますが、実際、空き家を活用するのは主に市場で回すということが大部分。もう取り壊すしかないというものを、ちゃんとお金が取れるような仕組みにしていくことが大事だと思います。
 所有者としては、空き家のまま放っておいて老朽化するよりは、何かしらお金になったり、活用してもらえるほうが本当はうれしい。ただ単に不動産流通ということよりは、どう活用されていくか、が大事なのではないでしょうか。今回の事例ではアーティスト・イン・レジデンスというところ、アトリエを作ったり、いろいろな集まる場を作ったりと、活躍の場を安く提供する。担い手が大事だと守先生からありましたが、やはり中身のアクティビティと、不動産としての価値を有機的につなげていく。そういうことが大事なのではないでしょうか。
【守】
 レジリエント、サステナブルとか、ここ数年のキャッチコピーですが、ここに込められている期待は何でしょうか。冒頭で小檜山先生が、これは材料工学から出ている単語で、頑丈である、元へ戻るとか、そういう意味があると話がありましたが、そこに込められている期待というのは二つあると思う。一つは、やたら頑丈な世界。映画で『ターミネーター』のように、何があっても壊れないでそこにいる。そのやたら頑丈なイメージをもって、このレジリエントという単語を使っているケース。
 もう一つは、ちょうどフェニックスのように、どんなに損傷してもリカバーする。そういう都市として、レジリエントを使っている方もいるでしょう。最終的には、このフェニックス型のまちがたぶん、人類としては望ましいものだろうと思います。ただ、『ターミネーター』のようにやたら頑丈なもの、頑丈なインフラを求めた人たちが結構いたという過去が日本にはあると思います。
 「国土強靭化計画」は東日本大震災のあとに出てきましたが、あれを恩師の伊藤滋先生は非常に嫌がって、「強靭」というのはあの字を当ててはいけない、「狂人」と書くべきだと言って安倍首相を困らせていました。ただ、これは理工学系の全卒業生が等しくかかっていた病気のようなものではないか。例えば昭和40年代に霞が関ビルという日本初の高層ビルを作った方々は、100年で使えなくなるなんて気持ちではさらさらない。半永久的に使えるんだという意気込みで作ってしまって、おかげで分解できなくて困ってしまうとか、そういうものになっています。
 これからは、簡単に作れて簡単に分解できる都市、つまり分解を念頭においた超高層ビルがあってもいいと思います。そういう柔軟性がないと、例えば都市開発というのはきれいな街区を作って、お客さんがパーッと来て、そのときは素晴らしいが、ちょっと流行が去ると誰も来なくなってしまう。そのときに、がっちり作ってしまった再開発街区は手の打ちようがない。流行が去ったらサッと仕立て直しができるようなまち。そういう技術を、簡単にはできないだろうけど、やはり作っていかないと。ユーザーはそれぐらい気が移ろうものであって、流行は変わるものです。
 土木、建築からたくさんの卒業生がこの100年間の間に出ているわけですが、この人たちがひたすら念じ、目指したものはやはり永久のモニュメント、作ったら絶対にもつもの。でも、この発想は変えたほうがいい。簡単に作れるけれども、簡単に壊せる。簡単に分解できる。これが今、時代が必要としているものではないでしょうか。全理科系の技術者はそちらに向けて技術開発のハンドルを切ってもいいのではないか。簡単に作り簡単に分解できると、空き家の問題もずいぶん世界が変わると思います。
【星野】
 住宅政策の範囲からですが、空き家に限らず、分譲マンションも当てはまってくるのかなと思います。今や都民の主要な居住形態がマンション、共同居住になっています。豊島区も約8割が共同住宅で、都心区の場合は、9割ぐらいというところもあります。
 吉川先生からもありましたが、分譲マンションというと一見、地震や火災に強く、防災という観点からはプラスに自治体としても評価しがちです。しかし先日の台風19号の話を聞いている中では、タワーマンションに限らず、停電、断水した場合、特に高齢者や、エレベーターが使えないというのは大きな問題になると思います。
 区のマンション政策においても、分譲マンションについて今問題になっているのが二つの「老い」です。建物の老朽化と、入居者が固定化されていることに伴う高齢化という、二つの老いに直面しています。特に分譲の場合には、多様な方が入居しているので合意形成も非常に困難になっています。共用設備の改修をする場合には費用もですが、一定の合意形成等も必要です。本当に根深いことが、長期的に見たときに、レジリエンスなまちに向けて一つの課題になってくるのかなと思います。今まで自治体レベルでもしっかりと受け止められてこなかったのかなと、感じています。
【小檜山】
 守さんから、簡単に作れて簡単に分解できる、そんな都市を志向すべきだという非常に重要な視点の問題提起がありました。この柔軟性ということを考えると、例えば災害が起こったときに以前と同じ形に戻す復旧を行うのではなく、以前とは別の形に移行するような、そういう柔軟な復興というもののあり方も考えることができると思います。先ほどの「国土強靭化」という言葉で、壊れない、壊さないという視点が強調されがちですが、壊れても負けない、そういうまちづくりをこれから志向していくべきだと。
 柔軟に別のまちの形に移行していく復興を行うためには、まちにどのような仕組みを取り入れていくべきか。どのような建築づくり、まちづくりを行っていくべきか。こういった視点についてお話をいただけますでしょうか。
【アルマザン】
 非常に面白いご指摘でした。私はもう少し建築的な視点から言うと、ローマのパンテオンと伊勢神宮。ローマのパンテオンは2000年ぐらい使われていて、途中で教会になったのですが、ずっと同じ用途として神殿から教会。パンテオンは、鉄筋ではないがローマン・コンクリート。ローマは地震がないから問題がない。それは西洋の建築の美学というか、面白いところです。しかし伊勢神宮は20年ごとに新しく作り替えられます。
 これから作るべき新しい技術ではなく、もしかしたら今既にある技術が重要なのではないでしょうか。日本にある伝統、昔からある知識、木造。木造も、もともとは同じ建物を移転、移築したりが普通でした。分解してまた建て直したり。だから、今ある日本の伝統をもう一回思い出していくような方向性に進んだほうがいいのではないでしょうか。伊勢神宮とパンテオンを比べると、やはり伊勢神宮のほうが日本の気候や、災害などの自然環境に合っていると思います。20年ごとにまた建て直し、その中でもちろん大工さんの文化などもつながっていく。
 逆に問題は、今それを変えようとしている方向性のほう。なぜそういうもともと日本にあった文化は否定され、木造をやめてコンクリートのビルにしようということになったのでしょうか。これから必要なのは、新しい技術ではなく、今ある技術ではないでしょうか。
【星野】
 自治体の職員なので現実的なことを考えるのですが、震災が起こったときに、まず住まいの確保を担当するのが私です。災害時には都区部を中心にまとまった土地がなく、仮設住宅のようなものを建設することになるのですが、そういったところも、計画上はがれき置き場になっていたりする。既存の住宅ストックの活用が今後より重要になってくると思います。特に既存の賃貸アパート・マンションは行政としても借り上げ公営住宅として、有事のときに提供できるように日ごろから準備していく必要があります。
 一つの課題としては、空き家・空き室が多い理由でもありますが、老朽化して更新が進んでいない賃貸アパートが非常に多い。どうしてもアパートなので、エレベーターではなく外階段で昇る、バリアフリー化されていないものも多い。特に賃貸アパートのようなところはワンオーナーで、管理状況についても管理者によって差があります。行政として今後どういう支援ができるのか、柔軟な復興を行うために何が重要かと、このテーマを通して考えています。
【小檜山】
 バリアフリー改修の推進などが、実は災害後のレジリエンスを高める上で密接に関わっている、と。
 それでは、再び空き家問題に戻りたいと思います。
 今、星野さんから、空き家は住まいを失った人たちを受け入れるバッファとしての役割も実はあるのではないか、というお話がありました。けれども、その一方でさまざまなレジリエンスに与える影響もあるのではないか。この影響と対策について、少し皆さんからご意見を伺えますか。
【アルマザン】
 やはり最終的には賃貸住宅オーナーの問題が重要だと思います。きょうのプレゼンテーションでの、「断っている」という拒否感の問題。だから新しい対策としては、例えば市場に任せるのではなく、行政として、人の拒否感に任せるのではなくて、例えばその空き家を管理したり、買ったり、公営住宅のように扱うこともできるのではないでしょうか。
 それぞれの文化にもよるけれども、ヨーロッパなどは行政が結構関わっています。私の印象ですが、日本はもしかしたら行政が少し市場に任せている部分が多いのではないでしょうか。考え方やイデオロギーが違うのかもしれません。しかし、今の高齢化社会では、本当に、全部を市場に任せても、インセンティブでもうまくいかないのではないか。いろいろな補助金などがあるかもしれませんが、それでも拒否感が残るのであれば、もう少し行政は行動を起こしてもいいのではないか、そういう時代になったのではないかと思います。
【紙田】
 都市全体として集約化を図っていくことが必要なのではないでしょうか。空き家がぽつぽつとあって、隣は真っ暗な家で崩れかけているようなところを計画的にまち全体として考えていって、コンパクト化、あるいはメリハリのあるものにしていく。ここはみんなで居住している場所で、ここは危険だから住むのはやめて、洪水のときには断水地域にしましょうとか、ある程度、都市構造全体で考えるということ。壊れないまちというよりは、壊れても負けないというのがいいのではと思います。
 例えば阪神淡路大震災のときに、家の下敷きになって自力で出てこられなかった人が、だいたい3万5000人ぐらいいました。その中で隣近所の人に助けられた人は2万7000人、それ以外の消防とか警察に助けられた人は8000人。ほとんどの方が隣近所、あるいは家族に助けられています。その中でも、助けられた生存率は、隣近所の方が助けたときの生存率が8割。消防などに助けられた方は8000人のうち半数しか生存していませんでした。そういうこともあるので、やはりご近所の力というのは本当に重要なのかなと感じています。
 今コンパクトシティ政策の中で、居住誘導地域とそれ以外に分けたり、メリハリのある都市づくりをしていこうという動きがあります。そのあたりのところも一緒に兼ね合わせながら考えていったらどうかなと思っています。
【小檜山】
 そろそろまとめとして、講演やこれまでの発言を踏まえた上で、レジリエンスを高める解決策についてパネリストの方々からご意見を伺っていきたいと思います。レジリエンスを高める解決策、今、東京に必要な取り組みはどういったものでしょうか。
【星野】
 最後に、私も空き家についての発言をしたいと思います。戸建ての空き家というのは、適正に管理をされていないと草木が生えて、賃貸住宅、分譲マンションよりも時間的には早く外部不経済を与えます。行政としては、建築側と一緒にしっかりと状況を把握していかないといけません。ただ実際、空き家になってしまってからだと行政の立場としての効率が非常に悪い。なぜならば、所有者がもうそこにいないからです。地方とは違って東京の場合は、所有者が一見、不明というか、そういう状況も結構あります。登記簿を追ったり、近所の方に聞いても分からず、なかなか対処に時間がかかる。また、せっかく所有者を見つけても、現状のいろいろなインセンティブという部分がなかなかありません。除却してしまうと税が高くなるとか、そういうものがないのでより問題は深刻になってきます。
 空き家予備軍で、戸建て住宅に住んでいる単身高齢者の方は多く、この5年間で1000人ぐらい増えています。住まいの終活支援などと言うと社会的に批判されそうですが、終活支援というのは一般論としてあります。空き家になってしまったものの居住支援は豊島区でも必要だと思っていますが、予防という部分も、いろいろな相談の体制を整えたらどうかと、今まさに重要な視点として検討しているところです。
【小檜山】
 高齢者の住み慣れたお住まいを、自分の人生を全うするまで住み続けられるようにリフォームする動きがありますが、これに(相続による権利関係の複雑化を防ぐ)リバースモーゲージを活用するといった、予防的な措置も必要だということですね。
【守】
 まず伊勢神宮の話ですが、もし20年おきに建て替える超高層ビルというのを日本が開発したら、これは世界に大ニュースとして流れるのは間違いないから、ぜひ慶應大学理工学部の皆さんに50年ぐらいかけて開発するつもりで頑張ってほしい。それから空き家、リバースモーゲージの話で、私は2、3年前に恩師に提案したことが一つあります。それは、高齢者が受け取っている年金を何かの形で担保にして、その住んでいる方の家を建て替える道を開く方法がないだろうか、と。
 年金を担保にするということは今、許されていません。ただ実際には、みんなだんだん寿命が延びてきて、例えば120歳まで生きてしまった。すると、その方が受け取る生涯年金は結構な額になってくる。それを当てにして、あとは行政が少し補助をすると、その方が住んでいる最後の住宅に立派な投資をして立派な住まいにして、立派なご臨終を迎えていただくことができるかもしれない。
 あとの世代が使えるような立派な物件にして、あとは行政が接収して下の世代にうまく回すという道が開いてもいいのではないでしょうか。その代わりそのお年寄りは、自分の残りの人生の年金をある種の担保にして、自分は長いことこういう家に住みたかったんだという家に、人生最後の何年間の間住める。それが個人の趣味のレベルを超えたぐらい質のいいものであれば、亡くなったあと別の世代の方に回しても、その方が喜んで使う。
 ただ、これはお年寄りの年金に誰かが手助けしないとできません。それは個人の篤志家なのか、行政なのか、誰かがやってみたら面白いかなと思っています。そうすると空き家も質のいい空き家がボンボン生まれてくる、そういう世界が生まれてくるのではないでしょうか。
【アルマザン】
 やはりスモールスケールということが大切だと思います。小さいスケールを生かして、コミュニティという資源、今あるコミュニティという資源、先ほど紙田先生のお話では、コミュニティによって多くの命が救われたということで、コミュニティは非常に大きなレジリエンスの資源であるから、そのためにはスモールスケールを確保して、フェニックスのような建築を作る。それは木造なのかスチールなのか、あるいは60年代のメタボリスト、丹下健三さん、黒川紀章さんのようなコアとカプセルのような、いろいろな発想、建築的なアプローチがありますが、そういう解体できる建築という、すごく貴重なアイデアをいただきました。
 そういうことも踏まえて、最終的にはやはり今までのような新自由主義的なアプローチをやめて、もう少し行政や政府などは都市計画に関わったほうがいいのではないでしょうか。全部市場に任せる、あるいは大きな都市計画のいろいろな側面を市場に任せてしまうとなかなかコントロールできないし、うまくいかないということは、もういろいろな国で証明されています。20世紀的な都市計画ではなく、21世紀的な参加型都市計画など、そういう考え方のもとに、もう1回、建築家や都市計画家、行政などはきちんと都市をコントロールして考えて、ゆっくり決めたほうがいいのではないかと思います。そういう時代になったのではないでしょうか。
【紙田】
 コミュニティというものが本当にハードだけで全て解決するのなら、たぶん今でもかなりのことが解決していると思います。やはり小檜山先生からもあったように、縦割りの隙間の弱いところに、災害などがやってくる。なので、やはりコミュニティや建物、まち、都市、さらには税制や保険制度など、そういうものを縦割りではなくもう少し有機的につなげて隙間を埋めていく必要があると思います。
 例えば高齢者ばかりで、災害時に助け合おうといったってなかなか助け合えないと思いますが、だったら高齢者として何ができるか。去年、田老地区のまちづくりのところで紹介されましたが、「避難しました札」の例で、「自分は無事ですよ」「ここは空き家なのでチェックしなくていいですよ」とか、そういうことが一目瞭然で分かる、それだけでも避難誘導者の助けになります。自分ができることは何だろうということ。共助と言うのか、ハードでできないことの隙間を埋められる、みんなでやれることをやる、そういうことがいいのかなと。
 ハード面の話でいうと今、耐震化、不燃化などで行政の補助金などがあるが、そういうものをもう少し拡充してはどうか。もともとの図面がなくても補助金がもらえるとか、ハードルを低くしたり、少しよくなった分だけの補助金をもらえるとか。
 あと、建て替えをしてくださいといっても仮住居もなかったりする。これだけ空き地が増えているので、自分は建て替えをしたいけれど、あそこの空き地で建て替えた家を作らせくださいという土地の入れ替えなど、そういうことをもう少し柔軟にやっていければ、皆さんが安全な住宅に住む助けになるのではないでしょうか。
【小檜山】
 有機的につながって助け合いをする、そういうコミュニティを目指してまちづくりを行っていくべきだという、大変重要なメッセージだと思います。

 ここからは会場の皆さまから質問やご意見をいただきたいと思います。
 きょうは会場に大学院の「都市・建築レジリエンス特論」の履修生も多く聴講しているので、ぜひ大学院生の皆さんから、若者の視点でいろいろとご意見をお願いします。
【質問者1】
 私は墨田区で設計事務所を経営していて、日ごろ、リフォームや建て替えに携わっています。その中で感じるのが、建築の場合、建物の用途を最初の確認申請を出すときに宣言するというか、決めてしまう、こういった問題は、都市計画のほうの今日話とどう絡むのかなと。
 建築の場合は、用途を宣言した途端に、もうその用途でコンクリート(凝固)してしまうようなところがあって、後で少し変えたいということになっても、なかなか変えられない。けれどもフレームやインフラというところでは、鉄骨やコンクリート構造など地盤に近いような強靭なものがあるにもかかわらず、何か法の壁が超えられなくて建物が寿命を迎えてしまうというか、転遷していかないというか、そういった場面によく出会います。
 例えば法整備を変えて、100平米で用途変更の場合は今までは届出がいらなかったけれども、それを200平米に変えるとか、そういったことで少し進むのかなと思ったが、基準法には合致していることという前提はあると思います。こうしたことは例えば法整備を変えたり、仕組みを変えるなど、そういう方法はないのでしょうか。
【小檜山】
 実務の中で、100平米を200平米に緩和すること以外に、何かネックになっているような規制はありますか?
【質問者1】
 最近「民泊」という形態が増えて、政府としてはかなり積極的に受け入れて、民泊新法ができて規制緩和されましたたが、あくまでも住宅という範囲の中で認めています。
 だけれども旅館業法で言えば、必ずしも住宅とは基準法上、用途が違っているので、そこは壁がある。本当であれば、ちょっとしたアパートと小さな小規模宿泊施設はビルディングタイプというか建物の形態は、小部屋が連なっているということではかなり似ていると思う。構造的には似ているのだけれども、最初に宣言してしまっている関係で変えられないというか、そういう事例になっているようなところもいくつかありました。
【紙田】
 規制緩和という話もありますが、少し堅いことを言うと、もともと専用住宅に住んでいた人は、自分の家の玄関や勝手口はどこにあるかはすぐ分かっているし、階段はどこにあるかも分かっている。もともと分かっているため避難口の表示もしなくていいし、避難経路も短くなくていいということがありますが、例えば特殊建築物や消防法の防火建築物になるような用途に変えたいというときには、使う人は1泊ずつ全然違う人が来るわけで、やはり避難口がどこか分からないといった問題は出てくる。なので、それに合ったような設備を付ける、それに合ったような避難距離を確保するとか、最初に法律を決めた時点では必要だということで、そういう厳しい義務が、特殊建築物や旅館業法の旅館には課されています。用途を変えたいけれども届出をするのが難しい、一級建築士でないとできないなどの、ハードル、中身の緩和は、やはり私もやるべきではないと思っています。それに対する、安く避難用の表示や消防機器を付けるなど、そちらへの補助金であったり、用途転換パッケージのようなことを提供していくとか、そういうことでハードルを低くするということが有効なのではないかと思います。
【小檜山】
 規制は規制で、その存在の意義があり、ハードルを下げる方策として、補助金という経済的な手段もあるのではないかと。
【質問者2】
 東京都都市づくり公社に務めている者です。先ほど、家の数が世帯数よりも多いのにタワーマンションを規制するという動きがなかなか出てこない、と。今、仕事で北区を回っているのですが、その中で、タワーマンションはあまりないが、分譲住宅を見かける機会が結構多い。権利者の方に移転先の話をしているとよく聞こえてくるのが、分譲住宅は嫌、分譲住宅は量産品みたいで、あまり価値を感じられないという声です。
 今は広い庭付きの住宅が、空き家になると、更地にされ、分譲されて、小さめの住宅が2、3軒建つというパターンが多いと思います。結局、住んでいる人やその子どもの世代が建物に対してあまり愛着や価値を感じないせいで、出て行ってしまい、空き家がまた倍、倍にどんどん数が増えていくような悪循環が起こり得るのではないでしょうか。そういう点について、行政や建築の方面から何か意見があれば伺えますか。
【星野】
 私のほうから、現状だけお話を。やはり豊島区においても、例えばかつては100平米以上の敷地に大きな庭付きの家があったところに最近、3、4年ぶりぐらいに行ったら、まとまった敷地に、たぶん所有者が亡くなられたのだと思いますが、やはり分譲戸建てみたいなものがたくさん供給されていました。
 実際、統計的なデータを見ても、そういったものが散見されます。豊島区のそのような住宅を専門に扱う会議の中では、大学の先生等からも最低敷地面積規制のような、渋谷区などの有名な地域だと何平米よりも小さくしてはいけないという規制があると指摘されています。豊島区においてそういったやり方、はたして広尾とかそういうところと同じようにやるのかどうかは別ですが、そういった規制も一つの有効な手段なのではないでしょうか。今そういった指摘も外部から受けていて、実際にもそういった供給が進んでいます。
【小檜山】
 建ててから売る建売住宅というものは、建てるプロセスのチェックをオーナーが行えないということで、欠陥住宅の温床になっているような側面があります。これからは例えば建築条件付き宅地分譲(売建住宅)を原則とするとか、あるいは土地は売るけれども、どのような家を建てるかはその後、設計者とちゃんと協議をしながら建てることでしっかりと愛着をもって住んでもらえるような、そんな仕組みを社会に取り入れていくということも必要なのかもしれません。それがゆくゆくはレジリエンスを高めることにつながってくる可能性があるということかと思います。

 皆さん長時間にわたりご清聴いただきまして、どうもありがとうございました。今回のシンポジウムが、皆さまのお住まいになっている地域の防災に役立つことを祈っております。 
(了)

ギャラリー

慶應義塾大学
東京都都市づくり公社